ホール*オブ*アス

断続 断裂

【考え】「品性が同レベル」でも良い(我々みんな猿だから)

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太田光や伊集院光にはわからない、つまりオッサンには見えない、女の子の革命。

って記事のブコメで「(前略)相手をオッサンって詰って暴言書いてる時点でその馬鹿にしている相手と品性が同レベルに堕ちてますよ。」って言ってる人がいたので、それについて少し。

 

 

とりわけ嫌韓だとかジェンダー論だとか摩擦係数の高そうな話題でよく見かけるこの「品性・民度が相手と同レベルになってる」っていうセリフ、いつも違和感を感じてました。

 

要するに

「同レベルになってはいかんのか?」

という疑問。

 

同レベルにならず反撃(?)するいくつかの手法はあります。

・無視する

・高みの見物

・呆れる・諦める・静観するなど

ともかくまともに取り合わないで、当事者性を請け負わないでいるってのがキモらしい。

こうして自分はメタな視点から相手を馬鹿にしたり、非難することができる。

ただそれだと精神的に優位を保っていられたとしても、事実上の利益を奪われたり、実際に損をする場面を防ぐことができないのではないかなーと思うわけです。

 

ちなみにチャーチルさんはこう言ってます。

“相手がルールを守らないのに、こちらがルールを守り続けることを「猿を相手に紳士のゲームを続ける」と言う。紳士は猿にならない。猿が紳士になるの待つのだ。猿が噛み付いてきたらどうするのか? そりゃあ君「ハンティング」というゲームに変わるだけのことだよ。 

 

 私は己を紳士などと言うつもりはありませんが、相手がルールを変えてくるならば、こちらもそのルールに乗る、という姿勢が間違っているとは思いません。

 精神的な優位性も大事かもしれない。でも同じように実際的な利益不利益も大事なので、品性を多少落としたとしても同レベルの議論(あるいは物理的なやりとり)をすることを避けたり、それをする人を見下したりする必要はないと、そういうことを思いました。